進学校ドロップアウト 最底辺から難関大 その1
みなさんこんにちは。
もうすっかり春ですね。
日差しは暖かいし、流れる風も暖かくて気持ちが良くなってきています。
しかし、花粉お前は許せん。
確かに花粉がなきゃ、植物が受粉できず、植物が絶滅し、世界が荒廃、人類も結果として絶滅せねばならぬ運命となると考えると仕方がない気がしてきますが。
まあいいや(相撲部)じゃあ特別の稽古つけてやるか!(相撲部)
今日は自分が進学校(偏差60-65)をドロップアウトした後、どんな風に京大に合格出来たかを書きたいと思います。
この記事の目的は、僕と同じように高校に行けなくなり、結果として高校中退せざるを得ないという人も、決して大学進学をあきらめる必要はなく、もっと言えば難関大に行くことだってできることを知ってもらうという事です。
ドロップアウトしても大学には行けます。
それではいきましょう。
今回はかなり長くなります。
①ボクの履歴書
僕は地元では有名な進学校に通ってました。
偏差値は60-65です。有名なのにしょぼいなあという人がいるかもしれませんが、田舎出身なので、MAX偏差が県でも65程度なので、県の中ではそこそこの学校でした。
なんだい、はじめからそこそこできる生徒だったんじゃないか、いい加減にしろ!という方もいらっしゃると思うのですが、そうではありません。
なぜなら僕が学校に行かなくなったのはGWらへんであり、正味一か月程度しか毎日”出席”できなかったのです。
もちろん、そういう学校に通う生徒の目標は
東大京大一橋などの最難関国公立大学に進学すること。そこの風潮では、最低でも早慶、マーチは選択肢としてないとかいう感じでした。
今振り返れば、マーチはないとか贅沢なことだなぁとか思います。
そうなってくると、先生方の指導も厳しくなり、毎日大量の課題と、爆速的な授業進度で授業を行なっていました。
進度として、初学の数学1A 2Bは一年で終わりました。
高一の夏から、受験標準レベルの標準問題精講をやっていたのは流石にビビりました。
それでついていける生徒はいいのですが、問題はついて行けない生徒。僕を含めて10人くらいはいわゆる劣等生でした。クラスの四分の一くらいでしたから、それでもついていける30人は半端ない。
僕は物理、化学、数学など理系科目がからっきしダメで、誇張などではなく、本当に授業が宇宙人の言葉に聞こえました。
毎授業ごと、授業のわからなさ、そして授業が全くわからないことに暗示させる自分の将来の暗さに、泣きそうでした。
そうしていくうちに、だんだん学校に通わなくなりました。というか通えなくなりました。
心がぶっ壊れるという表現とはまさにこのことだと実感しました。
そしてズルズル学校に全く通わなくなり、ひたすら家に籠り続けることになりました。
昼夜が逆転し、眠れなくなり、鬱病になりました。
単位が取れなくなり、もうこの高校に在籍出来なくなりました。
そこで僕にあった選択肢は3つ。
1,通信制高校に行く
2,高卒認定試験をとる
僕は1はないと思ってました。
確かに1は安定してるし、第一、高認試験てなんだよ(哲学)、どんだけむずいんやろという感じでした。
でも通信制高校は、聞いたところ、教師のレベルが低いと聞いていたので行く気はありませんでした。この時まだ自分は大学に行きたかったので、わざわざ金を払ってまで行くところではないと思っていたのです。
通信の先生のレベルが低いかどうかはわかりませんが、結果としてこの選択はベストだったと思います。
そして僕は高認試験の過去問も見ないまま、高認試験を受けようと決心しました。
16才の夏のことでした。