大学生活への所見 引きこもり流 大学生活のすすめ
大学生活が始まって、大体2週間ほどがたちました。
更新が滞っていてすみません。
別にブログ書きたくないとかじゃなくて、単純に忙しいです。
もう少し落ち着いたらもっと発信できるようになりたい。
授業が始まって、大学の授業がどんな感じかがわかってきました。
そこで僕が感じた大学生活での重要な考え方を、自戒の意味も含めて、今回は書きたいと思います。
大体他の人も書いてると思うけれど、それをただ聞くのと、身を以て実感する、その空気に触れるのとでは雲泥の差です。
あと、京大の授業の感想とかも書きたいと思います。
それでは行きましょう。
大学で大事だと思った考え方について
大学はありとあらゆる可能性があって、
高校生から見た大学生は、すごく自由でなんでも出来る、そんな夢の場所のように思えるものです。
実際僕も受験時代の単調でつまらない生活を堪えるのに 大学は薔薇色で、どんなことでも出来る という期待を持ってなんとかやり過ごしていました。
しかし、実際に入ってみると、実情は自分の思っていたのとは少し違っていました。
確かに大学には全ての可能性があります。
自由も与えられています。
授業は何コマとってもいいし、時間の使い方はなんの制約もなく、自分で決めることができますし、授業に来なくてもいいなんていう教授もいます。
しかし実情は、そのありとあらゆる可能性は自分で掴まなければいけません。
全ての可能性を、自分で進路を決定し、計画を立て、勇気を持って始め、それを続けなければいけません。
誰も自分に情報を運んできてくれませんし、誰も自分に代わって生活の型を作ってもくれません。
時間割を一から作ったり、
試験勉強対策の方法を探ったり、
例えば自分から先輩に話しかけたり、
友達を作ったり、
その関係性をどうやって深めるかとか、
これらのことは僕が引きこもり、不登校だったからかもしれませんが、基本的に全てがまさに
“自由であり、自己責任”
なのです。
これからのブログでは、どうすれば引きこもり、不登校出の大学生が大学でやっていくべきか、べきかなんて、たいそうなものではないですが、そういう参考になりそうなことを、
自分でまとめる意味を込めて、書いて行きたいと思います。
授業との付き合い方 大学での生活
京大に入ってみて、一番驚いたのは、面白くない授業が多い事です。
もちろん面白い授業があることや、授業が面白くないのが、自分の感性、知性が未熟だからというのが原因であることは明らかなのですが。
ここで、僕は大学の授業について大きな勘違いをしていました。
大学の授業はもっと体系的なもので、基礎からプロフェッショナルに到達できるものだと思ってました。
ある教授がおっしゃっていたのは、
大学の授業はあくまで学問の窓口に過ぎず、学問とは自分でやるもの。あくまで授業はきっかけに過ぎない。
という、もっともで、真理を表す言葉でした。
特に京大が、自学自習、対話を根幹とする教育を重視してるからかもしれませんが、
僕が痛切に感じたのは、大学での勉強というのは、
《自分で目標を見つけ、自分の学問に意味づけをし、自学自習と対話を繰り返すこと》、であり、
決して授業だけではまともな勉強はできないということです。
とりあえずこんなとこでしょうか。
今自分は、大学生活という大きな変化に直面して色々試行錯誤しながら、大きな目標として、《自分磨き》に向かってます。
まあ色々やっています。
めっちゃありきたりなことですが、実感したことなので書きました。
それでは。