8月3日、今日は北村克己こと、マッスル北村さんの命日です
皆さんこんにちは。詞です。
今日はいつもと違った感じで、純粋に僕の書きたい内容を書いていきます。
昨日主要記事のURLをいじったら、アクセス数激減で、めちゃくちゃへこんでました。
それは置いておいて。
8月3日、日本ボディビル会の神様
2000年、8月3日、日本ボディビル会の神様が亡くなられました。
名前は北村克己。 己に克つと書いて克己。
世間ではマッスル北村 という愛称で知られていた、ボディビルダーです。
今から書いていきますが、文字通り北村さんは ”神様” だったのではないかと感じます。
今日はそれについて書いていきます。
北村さんの少年期からの壮絶な常軌を逸する努力量のエピソードはほかのサイト様がかなり詳しく書かれているので、解説はそこにお任せして、
僕と北村さんの ”出会い”
僕が北村さんを知ったのは、2度目の高校生時代でした。
身体も細く、人生これからどうなるんだろうという不安を抱えながら、そんな悩みを振り切るために、とにかく何か始めなきゃと思って始めた筋トレ。
ボディビルディングや、筋トレについてインターネットで調べていると、ふと、キャッチ―な名前が目に飛び込んできました。
マッスル北村、その隣には、ストイックすぎて餓死の文字。
気になってその記事を読んだのが北村さんとの出会いでした。
筑波大学付属駒場高校時代から生き方に悩みながら、2浪を経て東京大学に合格。
大学時代に出会ったボディビルに専念したいという思いで、東京大学を中退。
その後、医者になって人を救いたいという思いから、東京医科歯科大学 医学部を再受験。1年間の勉強で一発合格。
そして1年後、”ボディビルを通じてみんなの心の医者になる” その思いで同大学中退。
それから、2000年8月3日まで人間離れした努力量をノンストップで続け、
世界大会に向けた減量中に、極度の減量による異常な低血糖状態になり、39歳の若さで急性心不全で逝去されました。
どんな言葉も北村さんを言い表しきれない 人間としての大きさ
経歴を見ればわかるように、生き方に深く迷いながら、それでも「ボクは何のために生きているのか」という根源的な問いに真摯に向き合い続け、それを常に100%、150%の努力をもって答えていこうとした人生。
人にやさしく、誰からも慕われながら、自分の見つけた道に、自分の人生をかけて、文字通り己の力のあらん限りの努力をもって進んでいく。
そんな姿に、自分の人生に大きく悩み、苦しんでいた、かつての自分は心打たれ、ボクもこんな風に自分が100%の努力をしているからこその、周りの人にやさしくなれる、こんな人になりたいと思ってボディビルを始めました。
あれから2年ちょっと。
あの時から大きく自分を取り巻く状況も変わり、自分の心境も大きく変化しました。
最近北村さんの動画をたまたまyoutube で見て、自分が何のためにボディビルを始めたのか、何のために筋トレを始めたのか、そんなことを思い出しながら、
自分の生き方を振り返って、なんだか北村さんに顔向けできないなぁと感じてしまいました。
自分の決めた道に150%努力しながら、周りの人にやさしく、その姿に人は心を打たれ、自分の行動を変えていく。
最後には魂が肉体を超えて燃え尽きても、北村さんの大切にしてきたハート、魂は死後も永遠に輝き続け、ボクみたいな亡くなったに存在を知った人の心すら変えてしまう。
そんな北村さんは 神様だったのかもしれない。
神様になったのかもしれない。
なんてことを考えていました。
今日はだらだら思うままに書いてしまってすみません。
でも、自分の人生を変えていくきっかけになった、重要な恩師の一人です。
久しぶりに初心を思い出しました。
最後に北村さんの言葉を引用して終わりたいと思います。
自分のためだと思うと力は出ないが、
自分を信じてくれている人たちのためなら頑張れるような気がした。
マッスル北村
ご冥福をお祈り申し上げます。